【平歯車・板歯車・内歯車】Fusion360でギヤを作る備忘録

Fusin360でいろんな種類のギヤが組み合わさった構造[1]を作ったので、作り方の備忘録。

3Dプリントするにしても、レーザーカットするにしても、Fusionは便利でいい。

筆者は機械工学に関する専門的教育を受けておらず、独学と模索をまとめています。趣味の工作やプロトタイプには十分な内容と考えていますが、プロとしての品質が要求される目的では参考にしないでください。

#平歯車

インボリュート曲線は大変なので、辛いかと思いきや、一番簡単。
標準で含まれているSpurGearアドインを使う。

Utilities > ADD-INS > SampleScripts を実行する。 (PythonのバージョンとC++のバージョンがあるっぽい。どちらも動く)

#板歯車

いわゆるラック. (rack) 歯は台形でよいので、モジュールを決めてしまえばほぼ自動的に決まる。

形状は以下を参考にして、歯を一つ作ったあと、繰り返し配置して好きな長さに伸ばす。

最後にギヤの厚さでExtrudeして終了。

#内歯車

正しい内歯車の作り方 - 歯車のハナシ が参考になる。

前述の方法で平歯車を作ってから、それをPress/Pullで内歯車の歯形になるよう変形して、それを鋳型のように使って補集合をとることで得られる。
変形は、歯元のたけを0.25モジュール小さく(するために円の方を0.25モジュールのばす)するのと、歯先を0.25モジュール伸ばす2つ。


  1. Passive offset adjusting wheel mechanism (Kanako Hodo, Yasuyuki Yamada 2022) にある車輪を作りたかった。 ↩︎


【渡米】UC Berkeley のSummer Sessionsを受講します

今日(2024/06/12)から、8月中旬まで、渡米します。
主な目的は、はカリフォルニア大学バークレー校 (University of California, Berkeley)のSummer Sessionsを受講すること[1]です。

#

アメリカの大学において、 Summer Sessions とは春学期と秋学期の間に行われる夏の短い講座群を指します。
通常の学位取得を目指す目的の学生のほか、 一般にも開放されている ことがあり、私も visiting student として受講します。

したがって特定の専攻が決まっているわけではなく、散発的に関心のある講座を履修登録しています。[2]

#経緯

そもそも、高校の頃から米国の大学には関心があり、直接海外進学を悩んだこともありました。
しかし、COVID-19もあり、また自分の決心もうまくついていない状態だったので、日本の大学 [3] に進学しました。

しかし、大学生活のどこかで一度、海外での大学生活を経験してみたいという思いが残っており、休学して 時間ができた今しかないと考え、この夏に渡米することにしました。

正直、 円が弱すぎてかなり迷った のですが、 時間は不可逆なので、今のタイミングを生かす べく思い切りました。

ベイエリアの家賃の高騰も重なり、正直通帳はみたくない心境ですが、今後の人生において、それに見合うだけの影響を受けることができると信じています。 [4]

#Why UC Berkeley?

最も原始的な理由は、強烈な憧れです。 BSDのBはBerkeleyのB
やはりコンピュータ屋さんとしてBerkeleyには、強い憧れがあります。

しかし、「今、いく先」としての決め手となったのは、CSよりもむしろその外側の分野が強いことです。

CSの研究が盛んなのはもちろんですが、(Computer以外の)EngineeringやArtなどの分野も、興味を惹くプログラムや研究が多く見つかりました。このような、バランスのよいトップレベルの環境に短期間にしろ身を置くことには、 おもしろ工作おじさんになるための何かが得られそうだという直感的期待 があります。

また、同校には RCJ で知り合った米国人の友人が進学しており、かねがね現地の様子について聞いており、影響を受けました。

さらに、それらに加わる小さな(しかし重要な)理由として、夏の間だけ留学生にもForm I-20を発行しており、学生ビザ(F-1)が取りやすいという都合もあります。[5]

それ以外にも理由があるといえばあるのですが、あまり勉強の中身に関連したことを言ってしまうとまた行動が割れるので、ここまでにしておき、また終了後に述べようと思います。

#今後の予定

6月12日に出発し、8月20日ごろに帰国予定です。
その間、考えたことや現地での(束の間の)生活については、このblogで報告できればと思います。

記事が出なかったら、余裕がないか、めちゃめちゃ楽しんでいるかのどちらかです。

渡航期間中、皆様にはご心配をおかけすることも多くなるかと思いますが、どうかご容赦ください。

高々2ヶ月強 の留学[6] ですから、どうぞご心配なさらず。みなさんから見れば、おれが実家(あるいは、地元の人々にとっては、つくば)に行っている期間と同じようなものです。

いつもこのような無謀を応援してくれる友人や家族に、本当に感謝しています。
渡航の計画を明かした途端、周囲の人間が「見送りに行こうか」とか「体に気をつけてね」とか「寂しい」とか言ってくれて、本当に幸せです。

それから、このような機会をもてたこと自体にも、心からの感謝を。


  1. 受講は手段であり、目的ではないので、本当は「目的」というのは適切な表現ではないが、「渡航」という手段をとる目的は受講である。 ↩︎

  2. ゆえに、勉強する内容を晒す=参加する授業を晒す ということになり、この先2ヶ月強に渡っての行動パターンが割れてしまうので、ここでは伏せます。 ↩︎

  3. みんなだいすき(?)筑波大学 ↩︎

  4. 脳の塑性の変化 もあるので、なるべく早い方が良い。 ↩︎

  5. 普通に進学する学生にはI-20が出るが、Visiting Studentに出してくれるところは多いとはいえない ↩︎

  6. この短期間なので、私自身はマジで1日たりともムダにしねーぞという気合いです。 ↩︎


筑波大学を休学します:2024年の過ごし方について

あけましておめでとうございます。[1]
昨年末は例年出していた年次の振り返りも書かなかったので、従前ここに書いていた自分の人生の方向性に関するような話はかなり久々になる。

タイトルでもう盛大にネタバレしているが、2024年度の 1年間、筑波大学情報科学類を休学する ことにした。

今は3年生で、今のところ進級はできる見込みなので、「4年生になった途端に休学」という形になる。

ここでは、その理由と、私の昨今の関心などについて述べようと思う。

先に述べておくが、この記事は 長いうえに、まとまりがない


休学を考え始めたのは2023年の11月末で、それから何人かの信頼している仲間に客観的なアドバイスを求め、12月には決定した。

その後担任や配属先研究室の教員、所属学類の長との面談を経て、2月14日、休学届を提出した。

考えはじめたきっかけは、「もう4年生になるのか」とふと感じたことである。
4年生 ーー学士課程の最後の年ということになるが、どうも自分が当初期待していたB3の成熟度には自分は達していないように思えた。
そう思ったことから、卒研着手前にもう少し時間をかけるべきではないかと考えるに至った。

ちょっとわかるツイート

動機

#まともに生きてきすぎた

もちろん、 多くの人に色々なご迷惑をかけ散らかしながら生きてきた 自覚はある。とはいえ、小中高と皆勤で通学し、ヘンな入試ながらも比較的名の知れた国立大学に入り、というのは、どう考えても「まとも」な経路である。

こういうわけで、今の経路は「まとも」だとして、一方「わたし」自身はどうかといえば、 到底まともではない 。ものづくりが(時折健康を害する程度に)好きすぎる[2]。一方で、ソーシャルスキルの成熟は、大体周囲から3年くらい遅れているなと感じ続けてきた。

まったり成長していること自体は、良くも悪くもないと思うが、自分の成長にライフステージが見合っていないのはあまり自分にとっていい話とは言えなそうである。人生を通してみれば、もっとゆっくり生きる方が自分には合っているように思えた。

そもそも、「まとも」な生き方は、どこか受動的であって、自分の意思決定よりも社会のペースに合わせている面が強い。

「まとも」を脱し、能動的に人生を構成する すべを身につけねばなるまい。

そもそも、自分の信じるものが見えた時、ダラダラと批評だけを続けるよりも、信じるものに全てをかけているやつの方が人としてattractiveと思う。

私はそうありたい。

↓休学など全く考えていなかった少し前の自分も似たようなことを言っていた


#「勉強したいので休学します」

もう一つの休学を決めた理由は、「勉強したいから」である。
大学に勉強しに行ったはずが、あべこべな話 ではある。
しかし、どうやら私には学部のような入力に偏った学び方は消化不良を起こすようである。

形式言語の勉強をすれば正規表現エンジンが作りたくなるし、DBの勉強をすればDBMSが作りたくなるのが私だ。

しかし、大学での勉強の多くは実際にはただレポートを書くことに終始する。これは、一週間ごとに課題を出すという授業のサイクルから考えると現実的なラインではあるのだが、やはり私は手を動かして学ぶタイプだ。

これまでの技術遍歴からしても、大学で先生に 「教わる」スタイルになったのはつい最近の話 で、小学校から高校までの間、自分の先生は図書館でありウェブサイトであってきた。

これは、どう考えても「知の高速道路」とはいえないが、私は つくばから栗東に18切符で帰るような鈍行派 。その道ごとの経路を楽しみたいという想いが強い。このおかげで、ある目的の技術だけでなく、周辺の技術も含めて 自分のモノにできてきた。

回路基板からWebまで、 レイヤを問わず ものづくりができるようになれたのは、私が思うに鈍行のおかげだ。

鈍行だと途中でおいしい蕎麦屋を見つけることもある

とはいえ、取り組むことの高度化に伴って、鈍行では放課後の時間に収まらなくなってきた。
鈍行でのびのび好きにものづくりするには、大学生は忙しすぎる。

そこで、じっくり時間をとってものづくりを楽しむ時間を取りたいと考えたのだ。


「勉強したいから」には、「じっくりものづくりを楽しみたいから」以外にもうひとつ意味がある。

それが、「図書館の勉強をしたい」ということである。

情報科学を専攻している身でこれを言うのもどうかと思うが、情報科学が情報科学[3]だけで辿り着ける世界はあまりに狭い。むしろ、 情報のエンジニアには、情報をあまねく統べる視点 が求められているように感じる。
電子計算機以前に情報学( informatics )の代表選手だったのは図書館だ。

情報学徒を名乗るなら粘土板からNVRAMまで全部やれよ 」と、自分に対して強く感じた。[4]

そこで、司書資格の科目を受講するようになったのは、昨年のことである。

ここまで1年間図書館について勉強を進める中で、情報学と図書館について、色々なことが見えてきた。
そもそも自分にとってとても大切な居場所であり続けている図書館に恩返しもしたい。
そんなことを考えているうちに、図書館の勉強をするための時間もほしくなってきた。

そんなわけで、やはり「 勉強をするために休学を 」と思うわけだ。

#コンクール病と、ものづくりに関する危機感

休学を決めた最後の決定的な理由は、 ものづくりとの向き合い方を改めて考えねばならない フェーズにきたことにある。
高校までは「エンジンに突き動かされるように」ものづくりができていたが、大学に入って以来、しばらく陰鬱な時期があったこともあって、最近はかなり健康的に生活している。それ自体はいいことだけれど、あまり深く打ち込んでいる感じがなく、面白くなく思ってきた。

この点、自分の主観では、私の人生ではじめてのプログラミング的な意味での「実績」である2017年のU-22プログラミング・コンテスト 受賞以前が最も自分に成長圧があった と思っている。

ところがコンテスト以後、 受賞に味をしめ、承認欲求に溺れた ことにより、変な癖がついた。

その結果、RCJ未踏ジュニアなど、名前のついた「実績」らしきものは、(特に高校時代)たくさん生んできた。
それはそれで、自分が機会を掴み取るには 便利 なのだけれど、結局のところ「答え」が見えていたところでラベルを獲得していただけに思える。

承認欲求を、「答え」を出すことでインスタントに満たそうとする「コンクール病」である。[5]

そもそも、これらの「実績」の多くは、一義的には実績ですらない。

この「コンクール病」の傾向は、 自分の価値を権威に委ね、自分の信じる善さや美しさを表現することから逃げ続けている [6]ということであって、 控えめに言ってセンスがない[7]

むしろ 一人で好き勝手に勉強していた時代[8]の技術への姿勢の方が遥かに尊い [9]ものであり、私は再びその感覚を取り戻すことを願ってやまない。


もうひとつの危機感は、大学に入ってから、学友から技術の相談を受ける時に「これ最後にやったのk年前なんだよね〜」とよく言っていると気づいたことに端を発する。こんな発言が出るのは、学友たちよりも技術を長くやっているから、とも言えるが、 実は自分が勉強できていない のではないか。

だとすれば、これは 技術の切り売り とでもいうべきもので、到底持続するものではない。
何より、勉強できていないまま技術のことを語るのは、 明らかにクソ格好悪い

これは私が嫌った「『基礎は変わらないから』と言いながら新しい技術を勉強しないおじさんエンジニア」に近づきかねない 危険信号 である。[10]

新しい技術を追っている者が「 やってみたけど 変わっていなかったよ」というならいいが、知らずに「本質は変わらないから」なんて、 比較ができない以上原理的に言えるはずがない。従ってこういったおじさんたちの言明は 「知ったか」にすぎず、非難すべきもの [11]である。

このままコンクール病を続ければ、この種のおじさんへまっしぐらだろう。
しかし私は、自分の興味に向き合い、勉強する道を選びたい。
これが、休学を決めた決定的な理由となった。

周囲の反応

休学します、といった後の各位の反応が、本当に好意に満ちていて、
こんな素敵な人たちと仲良くなれていることが誇りに思えたので、ここで一部を紹介する。
私も身近な人が自分の道を行くことを決めたらこんなふうに素敵に応援できる人でありたいものである。

各位には心から御礼申し上げる。

やっと言い出したか、と思ったぞ。

幼馴染

担任

伊藤くんらしいなぁ

後輩

友人

これからすること

「勉強したい」とは書いたが、具体的には次のようなことをするつもりである。

#無限ものづくり

前述の通り、手を思ったほど動かせていないことに課題意識を持っているので、第一に たくさんのものづくりをしようと思う[12]

これまで、学部生として勉強する中で時間がとれず向き合えなかった色々な技術を、実際に実装してみる経験を多くしたいと思っている。また、これまでちゃんと勉強したことがないテーマを学ぶことにも期待がある。[13]


他にも、型システムやAFLIE、ハイパーバイザといったように、 深掘りしたい技術山積みになった技術書 があるので、それらに集中的に挑もうと思う。

また、これまでに取り組んだことのないものづくりの形態への挑戦にも関心がある。映像や音楽といった今はあまり得意でない表現手段を自分のものとしたり、薄い本を書いたりできるといいかもしれない。[14]

その中では、時間を生かして丁寧にしつつも、作る時には雑に作ることを心がけたい。色々な未完成のプロジェクトを山積させるのではなく、レベルが低くとも完結させることが大切である[15]

#図書館についての勉強

図書館については、いくつかの点で関心を持っている。

#メイカースペースとして

まず自分にとって図書館は 常に変わらずそこにあったもの であり、人生のどのフェーズでも重要な意思決定を支えてくれた存在である。特に、技術については おりがみの本からタミヤモータの工作の本、そして情報理論の本と、たいへん助けられてきた

このように、図書館のものづくり関連の本で技術に入門した身として、 図書館にメイカースペースを作る事例[16]に関心をもっている
いくら公共図書館がすべての市民に開かれて[17]おり、そしてそこに巨人たちの叡智が積み上げられているとしても、それを実践する機会に恵まれないと利用者個人の人生には十分に効果を発揮できない。

私は知識を図書館から学んだが、同時に偶然にも PicKitをくれるサンタさん のいる家に生まれた点で ずば抜けて恵まれていた[18] からこそ、今、技術でそれなりのお仕事や活動ができている。
しかし、ものづくりに目醒めるかどうかが、この 「偶然の恵まれ」に依存する現状は明らかに不公平 である。したがって、ものづくりの民主化を推し進める上で、オープンなものづくり環境の整備を抜きに語ることはできない。

そこで、すでに十分な知識資源と人間の往来をもつ図書館に目が向く。 図書館には、その「オープンなものづくり環境」たるべき素質がある と考えている。

とはいえ、実際のところ、メイカースペースの運用は一筋縄には行かないことも、いちメイカーとして十分承知している。特に、初心者の入りやすさを高めたり、スペース内での交流をうまく促したりすることについては、各地のFabLab等の苦悩を頻繁に聞くところである。[19]
だからこそ、これまでの図書館における事例はどのようにその点を乗り越えてきたのか(あるいは課題となっているのか)について考えたい。

#RoboticsやComputer Scienceのフロンティアとして

今、司書科目を受講し、図書館について勉強しているわけだが、かつてにも増して「 司書、すごすぎでしょ 」という気持ちが高まっている。情報資源を取り扱うprofessionalとしての司書の技術体系は、そもそもその体系そのものがよくできているうえに、それを実際の利用者サービスとして成立させるには個々人の十分な鍛錬を必要とする[20]

しかし、地元の公共図書館を見てみるとどうだろうか。 目に見える司書の仕事は多くが排架業務か貸し出し・返却の受付であり、 「誰でもできる」ように思われている節があるように思える
これは、あまりにももったいないことである。

プロにはプロの仕事をさせるべきである。 「プロの仕事」とは、利用者に寄り添ったレファレンスやコレクション構成、企画展開のことでもあるし、あるいはそれ以外の まだ見ぬ新たな図書館の姿を実現させること かもしれない。

ーーそれでは、今行われているような「誰でもできる」ように見える[21]が重要な仕事は、誰がやるのか。

もうお分かりであろう。 退屈なことは何にやらせるのか 、この記事の読者ならすぐにピンと来るはずである。[22]

図書館に理解があってコンピュータやロボットの知見がある人間が必要だ。ーーここにいるぞ。

#海外に行こう

実は 最後にこの国を出てからもう4年経つ 。海外は好きだし、色々なきっかけで世界各地に友人がいるにもかかわらず、このような状況下にあるのは憂慮すべきことである。当然、 COVID-19という存在は大きいが、今やそれも社会的には過去のものとなっている[23]

というわけなので、積極的に海外渡航をしたいと思っている。特に、英国にはもう一度行きたいと思っているのと、エストニア, 台湾, 中国(というか深圳), ルワンダおよび東南アジア諸国に関心がある。もちろんシリコンバレーにも。 [24]

それから、 スペイン語の勉強をしはじめてもう4年経つ ので、スペイン語圏のどこかにも行ってみたい。南米もよいし、スペインもよいと思う。[25]

これらの取り組みのために、目下計画と調査を進めているので、いずれ決まったら続報を書く。[26]

未来へ

休学という、ある意味では大きい(?)意思決定をしたわけだが、私は将来どこに行くのだろうか。

わからないというのが正直なところではある。しかし、 将来について何も考えずに意思決定したわけでもない

今の所の人生の大目標は おもしろ工作おじさんになることである。
このコンセプトは私が作ったもので、「ある種のユーモアや人間性の深さに裏打ちされたテーマのものづくりを楽しみ、それによってものづくりを楽しむ人を増やす人」的なものとして考えている。[27]

そして、その人生の目標を達成するための、キャリア上の現時点での目標地点は、レイヤ問わずテクノロジを駆使して現実の課題を解決することにある。

現実の課題 とは、例えば「司書がプロとしての仕事をできる時間が限られている」といったようなことであり、 レイヤ問わず とは、その問題を解決するためにはWebアプリであろうがロボットであろうが選択肢になりうるということである。

#現実の課題

私のここ最近の強い意識として、「エンジニアども、もっと 現実の課題を観察せよ 」というのがある。
エンジニアたちは手が動くので、ものを作るのは容易い。それは私も半人前ながら技術者として、よくわかる。しかし、それらの多くは現実の課題の観察が足りないと思う。もっと現実の困り事や利用の姿をよくみる必要がある。[28]

このことは、私がシビックテックや未踏ジュニアの取り組みで学んだことでもあるし、大学に入ってから学園祭実行委員会等で痛感したことでもある。[29] 現実の課題をみるということは、現実の課題に介在する人とコミュニケーションすることでもあるし、ドメイン知識を学習することでもある。
これを怠って現実の課題を解決できると思うのは、驕りである。

だからこそ、私は図書館の課題に向き合うために司書資格を取ろうとしているのだ。[30]

手法のprofessionは、テクノロジで代替されうるが、目的のprofessionはそうは行かない だろう」というのが私の考えだ。

私がこのように考える一方で、世間では「DX」「エーアイ」「クラウド化」といったバズワード祭りであり、めまいがする。

あたりまえの話であるが、 生半可な技術の理解で適切な技術を導入できるわけがないし、ドメイン知識なくして現実の課題が解決できるわけがない

しかし、現実にそれを勧めている方は、それらのコンセプトがなんであるか、実際にはまるでわかっていないことも多い。技術を社会に実装する立場にありながら、技術を不勉強なのは不誠実な態度であり、情報技術業界全体の信頼を損ねる行為であって、詐欺である。短く言えば、カスだ。

幸い、私はパソコン愛好家であって、かつ現実の課題を観察することの重要さに気づけた立場である。
カスのDXを一掃したい。

#レイヤを問わず

特に大学に入ってから、色々な会社の話やエンジニアとのキャリア談義が多くなってきて気づいたこととして、「基板のアートワークも描くし、アセンブリも書くし、普通のアプリケーションも書くし、なんならWebもやる」みたいなエンジニアはそんなに多くないことがわかってきた。[31]

しかし、この技術をレイヤ問わず「縦に」みるスキルは、適切なレイヤでの課題解決につながる可能性が高い、有用なものであると感じているので、これは積極的に活かしたいと思っている。

#あれ、なんだかこれ聞いたことあるな

ここまで、ダラダラと「 現実の課題 に注目すること」そして「 レイヤ問わず 選択肢とすること」について述べたが、
これらをそれぞれ「社会への関心・知見」と「技術力」に言い換えて、「社会への関心と技術力の両輪で生きる」というとどうだろう。

AC入試の自己推薦に書いたところに帰着してしまった[32]。人は変わらないようである。

↓高3のころに書いた自己推薦書(恥ずかしいけど人生の記録として貼っておいてみる)

3年経って同じところに戻ってきた。やはり私の進む道はここらしい。

エピローグ

というわけで、筑波大学を休学し、 本気のお勉強タイム に入る。

物事の優先順位として、「より面白いことを勉強するので」という理由でお断りすることはあるかもしれないが、基本的には無限フッ軽人間になるはずなので、ぜひ面白い機会にはお招きいただきたい。
私も、何か勉強した面白いことがあればぜひお話しする。

それから、このような自由な生き方を許してくれ、応援してくれる周囲の人間に、普段にも増して感謝している。
何度も書いているが、私は本当に人間に恵まれていて、周りにはいい奴しかいない。

では、このあたりで。

なんかバカ真面目に書いちゃった。たかが休学でイキり散らかしてる奴みたいでやだな。


  1. と、いうにはもう遅いですね…… ↩︎

  2. 技術に嫌われても私は技術を嫌いになれず、そして精神を害するだろうという意味で、しばしば 技術メンヘラ 」を自称 している ↩︎

  3. というより計算機科学か ↩︎

  4. 電子計算機に特化した他人を情報のエンジニアではないと非難したいわけではない。 ↩︎

  5. 「コンクールは自信がない人がやるもの」「本当に自信がある人は、コンクールになど出ない」そう述べたのは、ピカソとも親交のあった芸術家、松井守男である。《『夕日が青く見えた日』 松井守男 (2021) p.107)》 ↩︎

  6. なぜなら、好きなことをずっとやり続けるのは実際には辛いからである。 ↩︎

  7. 「センスがない」のは、RCJや未踏ジュニアに参加すること自体ではない。 それを無意識下で自分の人生の道具ではなく目的に位置付けてしまった点が である。他のロボカッパーやクリエータを非難する意図は当然ながら毛頭ない。できることから挑戦するのは、それがなんであれ一旦は賞賛されるべきことである。 ↩︎

  8. 中3とか ↩︎

  9. 成長にはどうも孤独が必要であるようだ。 ↩︎

  10. Web上でも稀に述べているが、私には個人的に管理している「 こういう人にはなりたくないなリスト 」がある。無論、このような「基本は変わらないおじさん」も、回避行動の対象である。 ↩︎

  11. 「アホはいいけど、ウソはだめ」 だから ↩︎

  12. 実はアイデア帳にだけは色々溜まっている。 ↩︎

  13. 例えば、電子回路の勉強は「電子工作」の域で覚えたものが多いので、ちゃんと勉強しなおしたいところである。 ↩︎

  14. 技術書典や としょけっと 、MakerFaireなどに出ていけると最高である。 ↩︎

  15. これまでの経験的に、「まだ見せられる状態ではありません」は禁句である。それを言うと期待値が上がるし、一生見せられる状態など来ない。 ↩︎

  16. 国内では県立長野図書館「信州・学び創造ラボ」や石川県立図書館「モノづくり体験スペース」などの例がある。 ↩︎

  17. 実際にはアクセスには未だ課題があるが、少なくとも「公立図書館は、入館料その他図書館資料の利用に対するいかなる対価をも徴収してはならない。」(図書館法↩︎

  18. この意味では、親ガチャは「親の機械提供能力と子の関心との整合性」という面に限っていえば確実に存在する。 ↩︎

  19. 身近なところでは、OpenEsys創房などに関して運営に腐心する仲間たちがいる。 ↩︎

  20. 例えばレファレンスの練習などもやるが、正直私の現状の能力はおよそ一般のサービスに供することができるレベルではない ↩︎

  21. 見えるだけで実際には色々なことを気にしている、ということも多い点には注意を要する。 ↩︎

  22. ISBN: 978-4873117782 ↩︎

  23. とはいえ、「終結」したわけでは全くないし、現在も努力を継続していただいている医療・保健関係者には感謝するばかりである。 ↩︎

  24. 読者の中で、これらの地域にお知り合いのある方がいらしたらぜひご紹介いただきたい。いろんな人と話したい。 ↩︎

  25. 治安が良くて、ちょうどいい感じにスペイン語の勉強になるおすすめの国や街を募集している。 ↩︎

  26. 最近はこのために各分野の本を片っ端から図書館で集めてきては貪るように読んでおり、大変楽しい。 ↩︎

  27. 無理に説明を試みたものの、これは正確な言語化ではないし、正確な言語化は未だ自分でもできていない。しかし、 昔から「おもしろさ」には強いこだわりを持っている 。余談であるが、私が第90回滋賀大学データサイエンスセミナーで講演した際のタイトルは「おもしろくしよう おもしろがろう」である。 ↩︎

  28. 月に数件、「起業家」(笑)たちから「CTOになりませんか」的な話が飛んでくるのだが、この理由で全蹴りしている。そもそもビジネスとして成り立ちようがないことが一介のエンジニアに指摘できるようなものではダメだと思うし、さらにまだプロダクトもないんですということであればなおさらである。絵でもいいからまずは自分でめちゃめちゃ勉強して自分で作れ。その程度のことをやらないやつに人生を預けるとか無理です。 ↩︎

  29. だからと言って、今自分が100%できているかと言えば、そんなこともない。技術的なおもしろさに走りたくなる時もある。それでも、どうにか自分に「現実の課題を直視せよ」と言い聞かせて、今日も生きている。 ↩︎

  30. という説明をすると長いので、普段は 「司書にナメられずに図書館にテクノロジを実装するためです」 と説明している。 ↩︎

  31. 身の回りがそんな奴らばかりなので錯覚していた。 君たちヘンだよ。 ↩︎

  32. この「両輪」の関係の整理は、未踏ジュニアの担当メンターだった関さんの助け無しには成し得なかったので大変感謝している。 ↩︎


Hexoでasset_imgマクロを使いながらサイズを指定したい

ブログをHexoを使って管理している。
Hexoでポストに画像を追加する公式の方法は、asset_img マクロを使うこと。

こんなふうに:

# 画像入りの記事

下に画像が入る。
{% asset_img path_to_img.png "Alt text" %}

この書式には、画像のサイズを指定する方法がなく、テーマにもよるとは思われるが基本的にmax-width:100%が勝手に適用される。

横長画像ならそれでもよいが、縦長だと結構でかい。

指定するには<img>タグを使えなどと書いてあるウェブサイトも結構あり、本末転倒である。

そこで、以下のようにするとそれっぽい見た目を得ることができたので共有する。

# サイズを制限した画像入りの記事

下に画像が入る。

<!-- Alt text (正確にはtitle属性だが)を使って画像を一本釣りするCSS -->
<style>
img[title="Alt text"]{
    max-height: 300px;
    // You can make other changes here as well.
}
</style>
{% asset_img path_to_img.png "Alt text" %}

workaround感は否めないが、とはいえこの方法を使えばサイズ以外にも自由にCSSを当てられるので結構いいのではとも思う。


歯の定期検診 2024 2月

歯の定期検診に行きました。
(というか昨年からかなり歯の健康に注意を払うようになり[1]、ちゃんと数ヶ月に一回定期検診にいくようになりました)

毎回ちゃんとアドバイスをもらっている割に、きちんと記録やレビューができていないので、忘れないうちにまとめる。

なお受診前には朝食後の歯磨き&フロスをいつも通りやった状態だった。

歯肉

おおむね良い状態である[2] が、左前下の部分には磨き残しがあり、歯垢があった&炎症があった。
下唇で隠れて見えにくい部分なので、注意して(唇を下げるなどして)磨くべし。

おおむね大きな問題はないが、虫歯になりかけの(しかし今は「様子見」とすべき程度の)着色部分がある。
「歯は表面より奥の方が柔らかい」(発言ママ)ので、表面に穴が開くと一気に奥で進むおそれがある。注意して磨くべし。

歯の溝[3]を中心に着色している。フッ素入りの歯磨き粉をたっぷり使うこと。また水や唾液で流れやすいので、すすぎはほどほどにすること。

資料

ここの歯医者はマジで毎回丁寧で助かる。
「虫歯の赤ちゃん」←かわいい

これから

  • フッ素. 歯磨き粉の見直し, マウスウォッシュをサボらない
  • 歯磨きがんばり継続(一生)
  • 今度の検診は5月. Webから予約せよ

  1. 海外に出た時に国民健康保険がなくてもすむ体にしよう!と思い立ったのがきっかけで健康にハマっている。特に歯は寝ても治らないから。 ↩︎

  2. これは、以前の全体が腫れていた状態から考えると進歩であり、マメにフロスを通している成果が出ている。 ↩︎

  3. 裂溝 というらしい ↩︎


【結局】普通自動車免許を取ることにした

人を殺したくないので取りたくない−−高校卒業後、そう言い続けてはや3年、結局免許を取ることにした。

直接的なきっかけは、以前まで「あんた免許とらんの?」だった親の発言が、2023年の正月の帰省で「あんた免許とりや」に変化したことだが、実はそれ以前から機運の高まりというものはあった。

私がかねてより冒頭の主張を続けてきたことについて、こんなblogをわざわざ読みにくる身内各位の中にはご存知の方も多いだろう。
ここでは、私が結局なぜ普通自動車を運転できるようになることにしたかを記録しようと思う。

#運転したくない

免許取得の話に入る前に、予備知識として、なぜ私がこれまで免許取得を渋ってきたかについて述べておこう。
理由は、大きく2つある。

  1. 人を殺したくない
  2. めんどくさい

−−こうも明快な話もそうない。

まず、一つ目について。自動車は自分の力を超えて動作する機械である。 [1]
そして、その力を統べ損ねて今週も人が死んでいる。自身がその当事者となる可能性がある機械を操作することに積極的になれるほど、私は勇猛ではない。
特に私は注意資源が不足しがちな人間である。私が動かしていい鉄塊とは思えない。

例外があるとすればサーキットと自動車専用道路であろう。彼らは自動車に自分ですすんで乗っている人々で、私は彼らを事故があれば死ぬ覚悟があるものと看做す。
しかし、それ以外の公道には、歩行者がいる。歩行者すべてに死ぬ覚悟は現状の制度では要求されないし、ましてそうなるべきとも思わない。それらを受け入れないと外には出られない世界というのは、ディストピアである。[2]

そして2つ目であるが、単に面倒なのである。クリックしてクレカ番号を入れれば終わる応用情報技術者試験のWeb申し込みですらできずに2年を過ごした人間である。
申し込みというのはあまりにも面倒だ(し、私はそれが下手だ。)。それをするなら、パソコンをしたい。当然の帰結だ。私のqueueには、やりたいパソコンタスクが山積している。[3]

#機会損失

前節のような思考の末、免許をとらずに学部生としての2年間を過ごしたのである。
しかし、流石に2年も経つと、考えにも変化があった。

やはり(特につくばや、地元のような地方都市においては)自動車がないことによる機会損失というのは相当のものである。

ここで言いたいのは、自動車がないと暮らせないという話ではない。「つくばは自動車がないと暮らせないよ」−− そう主張するOBも多いが、これは2023年時点では誤りである。
Amazonがあり、TXがあり、バスがあり、自転車がある。それで生活にはあまりにも十分である [4]

ところで、私の父はLINEを使わない。あまり詳しく聞いたことはないが、どうも彼なりのポリシーでそうしているようである。
そのポリシーで、彼は生きている。別に生きられるだろうと思う。
しかし、それは彼が彼の世代、彼のコミュニティで生きているからで、今私がLINEのアカウントを完全に消し去れば、きっと人々は困るし、私もすぐに生活に影響が出そうである。
高校生当時に、クラスLINEに参加できない状態になっていたら、私はきっと課題を落としていたし、まともに文化祭にも参加できていなかった。そんな話である。

これは、LINEがすぐれたアプリだからではない。その優劣に関係なく、それが使われ、それを前提とした社会に生きる以上、それを使わないというポリシーによって被る機会損失があまりに大きいのである。

ひるがえって、自動車について考える。
東京都心のような優れた高密度な公共交通網がある都市を除いて、(特に、愛する滋賀県を念頭におけば)自動車を前提とした社会が、私の生きる社会であるようである。さすれば、その自動車に乗らないというポリシーは、自分からゲームを難しくする害である可能性がかなりある。

そんなことにB2の夏あたりから気づき始め、「そろそろ免許取るかねぇ……」と考え始めた。免許を取ることで、各地の図書館に訪れることができる。資材を輸送できる。琵琶湖やその他の交通機関が壊滅的な(しかし親は見せてくれ、私の人生の上で価値となっている)場所を友人たちや次世代の人間たちに見せられる。
必要とあらば、人を病院まで送り届けられる。

#人を殺す方法は、他にもある

機会損失について考えているうちに、「めんどくさい」から免許を取らないという思考は徐々に薄れつつあった。「めんどくさいけど」取ろうかな。

とはいえ、これは私が自分だけの人生を有利にするために思っていることであって、「人を殺したくない」という気持ちに勝つには甚だ不足である。
だから、「取ろうかな」である。「取ろう」とはまだ思えなかった。そんなまま、一年弱が経過した。

あるとき、気づいた。人を殺せないのか? −− 当然、偽である。手元には包丁があり、そしてそもそも、自転車に乗っている。
さて、ここで自動車を特別扱いする理由は……? 自分を超える力が出るから? では手元の電動工具たちはどうなる……? ガスコンロやライターは……
そう考え出すと、もう自動車を特別なものとする理由はなくなっていた。

工具たちを手放すかといえば、当然そんなことはない。工具たちを見れば「人はこうやって自分の力を超えるものを統べることで文明をやってきたんだなぁ」と思う。
それと同じことである。

−− 結局、リスクをどれだけ最小化し、その上でそれを受容することで、恩恵を受けるのである。[5]

#いざ、教習所へ

そんなわけで、免許の取得を決めた。coinsの学友たちから大学周辺の教習所情報を聞き出し、申し込んだ。SecHack365もある中で正直何考えてるんだろうと思ったが、早い方が良いと思った。

そして、教習がはじまった。
こうして褒めてくれる学友たちには感謝しかない。私は本当に人間の運がいい。[6]

教習中には左右盲も発動し、坂道発進むずすぎw [7] などと言いながらもなんとかやっている。自分は運動神経がよくない割に機械には並の人間よりは詳しい方なので、「クラッチキープして!!」「論理的にはわかってるんだけどそのように体が動かないんす!!」とよく言っている。まったく面倒な教習生だろうと思う。

#仮免試験を終えて

仮免試験を終えた。正直みきわめ[8] ではかなり不安があった。 やはりMTは減速するとエンストが脳にチラついて怖いなとまだ思っている。 とはいえ、なんとか一発で合格することができた。

おべんきょうは世の中的には得意な方[9]なので、普通に合格できた。
難易度としては、AP以上SC以下だと思う。

これから世の中の道を走るらしい。世の中の皆様におかれましては、よろしくどうぞ。

#まとめ - 返納を見据えて

昨年、祖父が免許を返納した。幼児期には、訪れるたびに彼の運転する車に乗せてもらったこともあり、感慨深い思いだったが、同時にかなり尊敬した。
自分の能力を正しく評価するのはかなり難しいと思っているからだ。

医療の発展を考慮すれば、私もきっとこのまま健康生活を送れば彼と同程度には生きるんだろうと思う。[10] そう考えると、彼の年齢くらいで返納するというのを、脳内でなんとなく思い描いておくと良さそうである。2世代で認知機能の衰弱のスピードがそんなに変わるということもなかろう。[11] マイルストーンをおいてくれた祖父には感謝するばかりである。

さて、ここまで書いてみてから、このblogは従来敬体で書いていたことを思い出した。 もう常体でここまで書いてしまったので、このまま出そうと思う。 一つ言えることとすれば、免許取得に関しての私の心もちは、おおよそ常体で書きたくなるようなものである、ということである。


  1. あるいは、つくばから栗東まで家具を担いで7時間で移動できる人にとっては、そんなことはないのかもしれないが。 ↩︎

  2. 実のところ、現状ある程度歩行者に自動車の都合から制限が設けられているのはご存知の通りである。これは歩行者も自動車の恩恵を享受しているので受け入れるべき、とも言えよう。とはいえ、やはり野性の動物であるところの人間が自由に歩行することをやたら制限するのは筋違いである。 ↩︎

  3. 実際、最近は全然パソコンタスクができていない。正直SecHackの進捗がまずい。 ↩︎

  4. パソコン業で一定の収入があるからこれができているという面はもちろんある。 ↩︎

  5. さて、原発はどうなるだろうか。 ↩︎

  6. これもLINEを使う良さかね? ↩︎

  7. そう、MTである。機械として面白くないと、自分のモチベが上がらない気がした。 ↩︎

  8. 非免許人間に説明すると、仮免試験や卒検の直前の教習(つまり最後の「練習」)で、これまでの一通りの操作が身についているかを確認する回が「みきわめ」である。名前がかわいすぎてよくわからん。 ↩︎

  9. こう言うとかなり謙虚さに欠いた発言に見えるだろうが、筑波大生はみな世の中的にはおべんきょうは得意な方なはずである。 ↩︎

  10. 私にはオタクにありがちな希死念慮もそんなにないし、かつての祖父のように喫煙や飲酒を頻繁にするわけでもない。 ↩︎

  11. これは種としてのはなし。もちろん私個人と祖父個人を比較すれば私が突然認知機能に支障を来す可能性はありうる。 ↩︎


人生 2022

ええ、そうです。Annual Review的なやつです。いま帰省の新幹線の中でこれを書いています。
適当に選んだらN700Sでした。来年の運勢が大吉に占われたという解釈にしておきます。[1]

さて、ということで年次レビューは毎度切り口が難しいと思うのですが、なんかもうきちんと構成する気にすらならないので適当に書きたいことから書いていきます。

#パソコン2022

オタク2022ですが、今年もあまり積極的活動はなかったというのが正直なところで、二年連続の反省点となりそうです。
とはいえ、今年は実委(後述)をやっていたということもあり、まあかなり仕方ない面があるのではないかと受け止めています。
開発を全くしなかったわけではなかったしね。

今年の個人的テーマとしてはずっとUnikernelで、UnikernelをRustで実装するやつをずっとやっています。
まとまった時間をとるのに苦戦していて、最近ようやくUDPでお話しできるようになりました。
進捗はかなりまったりですが、実装をかなり楽しめているので、これはあまり焦らずゆっくり作りたいです。

コードを書き始める前にきちんと論文とか探そうな[2]という気持ちを強く持って実装しているので、
おべんきょうという意味でもまあいいんじゃないでしょうか。

またまとまったら世の中に出したいですね。[3]

前述の通りコードはあまり書けてないですが、謎に資格を生やした一年でした。

  • 応用情報技術者
  • 危険物取扱者 (乙種4類)
  • 情報処理安全確保支援士試験 [4]

まあそういうのもいいんではないでしょうか。

書いていた言語としては圧倒的にRustが多くて、次いでTypescript、Python、dartといった感じだと思います。
夏頃一瞬強い気持ちがあってOCamlも書いてました。

#パソコン以外2022

落語とかスペイン語とかを関心の中心においた人生をやっています。
大学のプログラムでペルーからの留学生とマッチングしてもらい、スペイン語と日本語の言語交換を週に一回くらいやっています。
超楽しい。 来年一年もスペイン語に力を入れたいし、なんなら来年の春あたりにスペインか南米かに旅行にいく[5]のもありかと検討しています。

おすすめ南米やおすすめスペイン語圏などがある人は教えてください。

#労働2022

労働をしています、が、あまり楽しい感じにはなっていないので近々やめるかもしれません。
今やめるとかなり無責任やり散らすことになるので、春ごろかなぁ。

最近は大企業の計算機インフラみたいなぁみたいな気持ちがあります。
昨年FaaSやってみたり、今年Unikernelやってみたりみたいなことをしていると、
クラウドベンダーになりてぇと思うことも多くあり、誰かそういう感じの力のあるインフラを持ってる人が
遊ばせてくれたりしないかなと思っています。

あと、これはここ数週のことですがリーガルテックっぽいやつに興味(興味だけ)があり、調べてみたいと思います。

#人間2022

今年もよく食べたと思います。えらいね。
おcookingも相変わらずやっていて、2年続いていることを考えると多分私はおcookingが好きな方なんだと思います。

寝に関しては今年もやはり掴みきれておらず、もう少し工夫と実験が必要そうです。
入眠と起床いずれもかなり苦手で、このせいで1限を逃すと2限以後にいく気持ちも減衰するなど学業への影響が出たので、これは引き続き課題事項です。

あとは服ですね。
夏に新しいズボンを買って、かなりいい買い物だったので、何も出来ずに実家から持って帰った服を着ていた昨年と比べると衣生活に進展がみられます。
冬服は難しくて買えませんでした。レベル、低いか?

#購入2022

これを書くためにこの記事を書いているまである。
購入2022ですね。

#NAS

SynologyのNASを投入しました。 NASキットそのものはSofmapの中古で買ったんですが、「欠品」とされていた付属部品がしっかり中についていて、
ビックカメラになった後のソフマップなんか微妙だなという気持ちを強くしました。

大学が提供していた無限Google Driveが尽きるというアナウンスがあったというのが一番大きな理由で、
もう一つには無尽蔵にVMを作れるデカストレージが欲しいみたいなそれもありました。

結局諸々[6]の理由から「無尽蔵」とまではいきませんでしたが、4TB×2本という構成に落ち着きました。
主にlaptop上のデータのバックアップと写真ストレージになっています。もちろんVMも乗っています。[7]

パソコンとの同期にはSynology Driveなるsyncアプリケーションを使っていますが、普通に安定していてすごいです。
Google DriveとかだとたまにSymlinkが含まれたディレクトリでコケる[8] とかあったんですが、
こいつはそういうこともなく、すごいと思います。(小並感) [9]

#カメラ

今年の最大購入な気がする? カメラです。APS-CなNikonのミラーレス一眼 Nikon Z50を買いました。

かねてより周囲のオタクからの「カメラはいいぞ」みたいな圧が強かったのもあり、夏頃から気持ちがありました。
ここ数年「おまえらカメラはポケットに入ってるだろ」と言い続けていたので若干負けっぽさがありますが、
どうしても必要な理由も生えたし、費用負担が抑えられるきっかけがありもしたので、買ってしまいました。

ダブルズームキットで買いましたが、キットレンズの写りがいいなというのが第一の感想で、
今の所「明るい単焦点がほしい」とかそういう気持ちにもなっていません。[10]

カメラの選択にあたっては、Nikon Z30, FUJIFILMのXS-10と迷いました。
前者は動画への最適化感もあり、USB-Cでしかも軽いのが魅力的だったのですが、やはりEVFは欲しいだろうということで棄却。
XS-10はIBISがあるし見た目もZ50と同じくらい好みだったのですが、普通に中途半端に高い[11]なという気持ちがあったのと、バリアングルなのかぁ[12]というのがあり却下しました。

本来の目的だった撮影は割とすぐ終わってしまったのでアレなんですが、普通に写真機械として結構楽しんでいて、まあこういうのもありだよねと思っています。

#目薬

コードを書いてるときに、たまに目の奥が重いような感じになることがあり、「おれ、もしかして眼精疲労とかドライアイとかそういう類のじゃね?」みたいなすごい雑な推論をして
すごい雑にAmazonで目薬を買いました。

実際かなり効いていて、目が疲れたような気がするときにさすとかなり即効的に回復します。
あまりに即効性があるので、確実にこれは薬効成分によるものではなくてただ目に水分が補充されたことによるものだと思っています。

今度もっとしょーもない目薬を買ってみて対照実験をするつもりですが、プラシーボが必要だったりするかな。

#

光を反射することでお馴染みのアレです。
なんかその、服とかで迷う前にそもそも自分の見え方を把握しろ?という気持ちになったので買ってみました。

安い姿見をAmazonで検索すると「ゆがんでいた」とかそういうレビューがかなり多くて大丈夫かという気持ちになるのですが、自分が買った分には気にならなかったので、
もしかすると当たり外れのものなのかもしれません。

私が買ったのはこれです。

#

今年もたくさん本を買ったのですが、買いすぎて列挙しきれないのでやめます。
いずれにしても本はいいもので、本はもっと買いたいです。
本で値段より損した覚えがない。

#講義2022

今年は講義の上限解放 [13]の適用を受けられたので、
それで色々な科目をとっています。特に情報科学類では他学群の専門科目をとって途中で飽きてやめてもGPAに響かないため取り得で、
そういうことをよくやりました。

特に楽しかったのは

  • 人間工学
  • アナログ電子回路
  • 機械設計
  • 知的財産概論
  • 図書館概論

ぼちぼちだったのは

  • 論理と形式化
  • プログラム言語論
  • 論理システム演習

苦しかったけどまあ身になったかと思ったのは確率論と統計学です。

秋学期が終わった頃に気持ちが残っていたら詳細な講義レビューとかもやりたいですね。
今は新幹線で書いていてちょっとそろそろ酔いそうなのでやりません。

#課外2022

人生のクソでかウエイトを占めていたやつとして、学園祭実行委員会の情シスをやっていました。
前にもここでお知らせした通り、「情報メディアシステム局」というところの中にあるWebサイトとかパソコンっぽいこととかをやる部門「ネットワーク部門」で部門長を拝命しておりました。

その中で、昨年から引き継いだ雙峰祭オンラインシステムや学実委内のネットワークインフラの運用をやったりしていました。
秋前になると雙峰祭コンテンツ投稿システムというやつも実装しました。
これに関しては昨年のものを見た目上は引き継いでいて、他方でバックエンドに関しては雙峰祭オンラインシステムとの連携を強める方向にRustで書き直しました。
これがよかったのかどうなのかはわかりませんが、割とワンマン開発/運用で反省も多いながら結果としてはなんとか乗り切れたので、ホッとしています。[14]

また、直前期にはWebサイトも少し手伝いました。
が、本当に少しで、どちらかというと他局とのコミュニケーションとかタスク管理とかそういうやつをWebサイト向けにはやっていました。

これは、実装を担当してくれたいなにわうどんちゅるりが恐ろしく開発筋力のある人々だったので、おれがそこで頑張る必要はないという確信が持てたためです。

そのほかにもjsysに関しては、まる[15]大野 [16]びき[17] などの同期各位と恐ろしく優秀な一年生たち、および昨年からずっとお世話になっている先輩方に支えられ、本当にjsysでよかったと思っています。
来年以後は口より金を出すという某先輩のポリシーを私も堅持したい気持ちでいっぱいです。

最後に、ここに名前を挙げていいものかわからないので挙げられませんが本当にお世話になった他局の皆様にもお礼申し上げます。
彼らには今度旅行に行ったときにうざいくらいに感謝を伝えたい。

#人生2023

がんばります。

そういえば、来年1年間情報科学類誌WORDの編集長を拝命します。
正直ロクな記事も書けていない私ですが、どうかよろしくお願いいたします。

それでは、良いお年をお迎えください。


  1. 私はおみくじとか占いとか信じないタイプですが、都合がいいように利用します ↩︎

  2. そうだね ↩︎

  3. こういう姿勢が良くなく、本当は「まとまったら」ではなくまとめて今あるものを出すのが正解らしいね。  ↩︎

  4. 登録はする気がないので「情報処理安全確保支援士」は名乗れないらしいね ↩︎

  5. 予定を入れることで勉強の力を強める ↩︎

  6. 主に財布とアパートの面積 ↩︎

  7. VM牧場のPROXMOXにNFSでマウントしている ↩︎

  8. node_modulesとか ↩︎

  9. そもそもnode_modulesをsyncするなというのはそうで、そうなので今はブラックリスト扱いにして同期を切っています。 ↩︎

  10. 飽きてきたら欲しいというんだと思います。 ↩︎

  11. これを買うくらいカメラに気持ちが強まったらフルサイズなりSony alphaなりそういうのを買いたい ↩︎

  12. 開くときにもたつくのでチルトがよかった ↩︎

  13. 昨年の成績を踏まえて一年あたりの履修単位数の上限が緩和されるやつ。 ↩︎

  14. 各方面にご迷惑をお掛けしたのでよかったとはとても言えない。 ↩︎

  15. 恐ろしく事務能力が高い。塩っぽくてかわいい。本当に。 ↩︎

  16. 女殴ってそうって言って悪かった。本当に優しいしjsysの中でもかなり大人ないいやつだと心から思っている ↩︎

  17. エフェクトバチバチ創造力お化け ↩︎


情報処理安全確保支援士試験に合格した

#

IPAのやってる試験で。セキュリティをやるおにいさんおねえさんを認定する。

以下IPA [1] より。

サイバーセキュリティに関する専門的な知識・技能を活用して企業や組織における安全な情報システムの企画・設計・開発・運用を支援し、また、サイバーセキュリティ対策の調査・分析・評価を行い、その結果に基づき必要な指導・助言を行う者

情報処理技術者試験の試験範囲のうちセキュリティ分野に特化した上位互換で、試験は一年に1回ある。

#なぜ受けたか

APに受かったので、このまま次をとるか、というのが一番大きい
DBとSCで迷い、DBは小学校の頃から割と好きで、やれば取れるかなという直感があったので、勉強しろということでSCにした。

#準備

#申し込み

申し込んだ。期限内に申し込めたのは今回のえら・ポイントだと思います。

#おべんつよ

FEやAPの時と同様に技術評論社の本[2]を使った。

使った、というのは、眠い顔をしながら通読しただけ。
通読するだけでも普通にページ数が799ページあるので、結構な重さがあった感じがする。

特に前半はAPとほぼ内容が被っていて非常に退屈なので、嫌だった。

#当日

起きて、受けました。えらいね。

#結果

合格しました。運だと思います。
同時に受けた人に「基本がなってない単なるコンピュータカタカタオタク」とか言われていたので、普通になんとかなってよかったと思います。

#反省

#合格した

運で合格してしまった。よくないことだと思う。
もう少し勉強してから合格すべきだった。
本当は不合格なって絶望する予定で、絶望駆動で勉強していくつもりだった。

↓わかるよ

#午前Iを飛ばさなかった

ルールをよく確認していなくて、APを持っている人間が午前Iを試験免除にできることを知らなかった。
そのせいで本来の時間より早く起床せざるを得なくなった。

#まとめ

次は電工2種がほしい。


  1. 出典:IPA 独立行政法人 情報処理推進機構:制度の概要:情報処理安全確保支援士試験 ↩︎

  2. 令和04年【春期】【秋期】情報処理安全確保支援士合格教本 (情報処理安全確保支援士試験) | 岡嶋 裕史 |本 | 通販 | Amazon https://amzn.asia/d/8Cc6mmB ↩︎


無理しろ、あるいは勉強しろ、という話

帰省していて、色々考えたので、書く。

#勉強することについて考えた件

帰省しているので、祖父母に会いに行った。祖父母が元気そうでよかった。
祖父が電気の勉強をしていたころの[1] 書籍を譲り受けた。

譲り受けた、とは書いたが、実際のところ「救い出した」と言った方が正しかろう。

私がつくばにいる間に、彼が持っている本の大部分を整理してブックオフに売ろうとしていたところを、母がその本のうち特に古く、持って行ってもただ処分されてしまいそうなものを「祐がもらうかもしれんから」と留めておいてくれたらしい。母は確実にその内容どころかタイトルすら理解していないはずだが、本そのものの扱いのセンスに関しては本当に長けていると思う。助かった。

祖父から譲り受けたのは、電気数学や微積など数学の本(どれも戦後期に書かれたもの)、シーケンス制御やトランジスタ回路に関するもの(これは80sとか)。
本としては、まだあまり古すぎるわけでもなく(古本屋に行けば戦後期の本はまだ買えるので)、その価値はそれほど高くないようにも思える[2] が、祖父が使ったものであることに価値があった。

書き込みの跡やメモの数が、本人の勉強の程度を感じさせる。
今ではやさしいおもしろじいさんである彼も、また技術に愛があり、技術の勉強をしていたのだなあと直に感じることができた。
加えて、マークやメモの方法や内容が自分とそっくりで、ああそういうことなんだと、どこか腑に落ちるような思いがした。
以下は、祖父の本(過渡現象に関する本)と、自分の以前読んでいた論文を並べたもの。

あと、雑に引用されがちな『正義と微笑』(太宰治)の有名な「カルチベート」の一節も、そういうことなんだと、なんだか整理がついたような気がした。

#もうちょっとやれる気がした件

先のことは、学生である/まだ長くこの世を生きることを想定された年代の 身分の人間としては、大変 encourage された。
思えばここ最近、たくさん活動をしている気になっているが、考えれば大したことはしていない。

ことCSの勉強に関して言えば、昨年よりも"流れ"はある。もう澱んではいない。でもどこか、"圧"が足りないと感じている。

精神をやるとめんどくさいことは理解したので調整はすべきなのだろうが[3]、でもやはり私は無理している方が自分にも、外から見ても、しっくりくるんだろうと思う。

もう少し無理をしないといけない。時間を使い、脳みそを使わないといけない。今圧を上げておかないと、将来的に図書館にすら行かない大人になる気がする。それはあまりにも残念だ。

無理をすることに関連して、無限に時間を溶かす能力がもはや効果を持たなくなったということも感じつつある。先日鍵アカでツイートした内容を、掲載しておく。

なんかそろそろ「無限に(特定の好きなこと)に時間を注ぎ込む能力があります」だけでは勝負できなくなってきた感じがあるな。時間当たりの作業/学習の効率化を考え始めないといけない感じがする 無限に時間を注ぎ込むの、恵まれて得た環境であり能力でもあると思っていて、自分はこれができたので計算機を比較的早期にある程度ものにできたが、大学生それだけではやっていけないのはそれはそうという話で……

#自分の実力がわからない件

今、なぜ無理ができていないのかを考えると、理由は大きく2つに見える。
一つは怖さ。もう一つは自分の実力が自分でわからないこと。

怖さについては、すでに過去のpostで言及したのでこれ以上述べることはなく、未だそれが克服できずにいる、という話である。

残る「自分の実力が自分でわからない」という事象であるが、これは過去に自覚していた(未踏ジュニア前後)ので、それを克服し、最低限の力があることを確かめるために APの試験を受けた。

本当のことを言えば、そこで落ちていた方がよかったし、落ちるはずだった。きっと自分は情報の基礎能力が欠落していて、上辺だけで技術をやっている--そう思い込んでいたし、実際そのはずだった。それで失望して、地道に技術をやろうとなるはずだった。が、中途半端にできてしまったので、結局自分の実力はわからなかった。この秋SCを受けようとしているが、今度こそ落ちるはずである。

危険物は正直あまり難しいはずだとは思っていなかったが、まあ一応「難しい」(誰にとって?)みたいなネット上の煽り記事も存在はするので、「落ちたらダサい」駆動で勉強した。

どれも「X時間の勉強が必要です」「難しい」「高く評価される」みたいな煽りだけで、そんなに難しくもなければ、実力を測るのにも適してないんだろうと思った。[4]

#何者になろうかわからない件 (何者にもなれない件)

そんなこんななので、もうもはや技術屋さんを職業にするのはないかもなみたいな気持ちにすらなってきた。

技術に対してメンヘラなので、技術ができないと精神が落ち込み、技術ができると調子がいい。そんな感じなので、技術を仕事にしてしまうと精神に悪い感じがする。

「何になりたいのですか。」「ソフトウェアエンジニアです」過去にINT_MAX 回答えたこの回答も、そろそろ過去のものになるのかもしれない。

では、今の私は、「何になりたいのですか」

-- なんか図書館職員にでもなりたいなあと思っている。

これも図書館職員をナメた発言ですよね。ほんとすみません。だから結局そうもなれないんだろうなと思います。

こんなこと言って、結局なあなあで技術職やってそうだ。

結局何者にもなれないんだろうな。[5]
畏れ多くも希望を言えば、やさしいおもしろじいさんになれれば本望だ。

#近況

最近はUnikernelとか、仮想化とか、その辺りを徘徊しています。
あと、ここ2週間くらいは栗東に帰っています。

スペイン語も勉強しています。

それ以外に特に言うことはないのですが、ほどほどに元気です。


  1. 祖父も主に電気を中心とした工学の素養がある ↩︎

  2. 無論、現代を生きる理系学生である私も、現代のそういう本は多数持っている ↩︎

  3. 以前受けていたカウンセリングは、予定の調整に一度失敗してから再度予約するのが億劫になって受けなくなった。 ↩︎

  4. APに向けて勉強をしている友人もいる中で、こんなことをいうのを野暮なのは百も承知である。しかし、自分に正直にあろうとすれば、これが本音であると言わざるを得ない。 ↩︎

  5. 何者かになれるという妄想が尊大だと言われればもうそれまでですがね。人間一度は何者かになれる気がしてしまうものなんだろう。 ↩︎


ほどほどを覚えた(い)

ここ最近、少し調子が良くなってきたので、近況を書いてみることにする。

#よく図書館にいます

これが何気なく最も大きな変化なのですが、最近はほぼ毎日図書館(大学の図書館)にいます。
もともと図書館は大好きで、よく行っていたのですが、元気がなくていけない日が続いていました。

前回の春ABの期末試験で数学がヤバすぎて勉強しに行っていた&&(という言い訳を自分にして『N/A』を読みたかったというのもある)のがきっかけで、
それ以後も結構いいなということでその生活を続けています。

ほかの多くのオタク同様、物理世界嫌だなーと口では言うのですが、よく考えてみれば私は小中高皆勤でずっと通っていた体。
そして大学生になった途端にコードがしばらく書けなくなっていたので、そういう意味では「通う」活動が(体感としては嫌でも)向いている方なのかもしれません。
昨年は、「雨なので今日は行くのをやめるか」ということも多かったのですが、今年は少しいい傘を手に入れたので、雨の日も歩いています。

このように、オンライン生活を悪く書きましたが、むしろこのような知見を人生の今の段階で得られたのは成果と言って間違いないと思います。
こうして得られた知見は、以下の2つに集約されます。

#私は、休むと戻れなくなるので、週7で仕事をすべき

ここで「仕事」とは書きましたが、必ずしも報酬を得る仕事の話をしているわけではなく、つまりコードを書いたり勉強したりを週7ですべきということです
以前は、「週末は休むかー」と休んでいたのですが、そこからオンライン生活で戻ってくるのは至難の業で、月曜日の午前を寝て過ごし、一週間そのノリを引き継いで週末自責の念に駆られるという悪循環を産みます。
そんなにたくさん仕事をしなくてもいいし、正直週末は進捗を生んだりはしなくてもいいのですが、図書館に行ってなんか知らん言語の本をパラパラめくってみるとか、ソファのあるところで本だけ読むでもいいので、
頭をそっち側に残しておく必要がありそうです。幸い、このあと述べるように活字の習慣が戻ってきたので、特段辛く感じることもなく、週7生活を楽しめています。

#私は、作業をしはじめると戻れなくなるので、休むべき

先ほどは、大きな時間単位(日)のなかでは休んではならないという話をしましたが、小さな時間単位(時間)のなかでは作業を始めると戻れなくなるという問題も大きいです。
休むべきです。特に、夜中にコーディング作業を始めて4時くらいに「おれさま最強」の気持ちになって寝た場合、翌朝まともな時間に起床が困難であり、後に引きずります。
また、変な満足感のせいで、その翌日作業する気が起きない問題があります。
よって、(よく言われる話ではありますが)コンパイルエラーが残っているとか、あとこの機能だけ実装すればPRが纏まる、というくらいの作業意欲が一番高い状態で作業をやめて休むべきです。
逆に、満足した状態だったり、バグ(コンパイルエラーのようなしょーもない問題ではなく、本気のデバッグが必要なやつ)を残して寝ると翌日の作業が億劫になるということです。
なので、(今このブログを書いているのが午後10:10なので矛盾しかないのですが)午後10時以後はコードを書くのをやめる的なルールを強制的に導入するとよさそうだということがわかっており、
実際それをやった日とその翌日はコード書きたい欲が残っているので起床する動機になります。

#活字を読む(習慣|体力)が戻ってきました

書いてある通りです。活字を読む体力を取り戻しました。
小学生ぶりくらいかもしれず、すごく嬉しいと思っています。

小学生の頃は、小学校の「ひみつシリーズ」が好きで(最近のひみつシリーズにはかなり嫌悪感がありますが)それを読み終えてからはNDCで4番のあたりにある本をおそらく全て読み倒した、という程度には活字を読んでいました。
(友達がかなり少なく、ひとりで図書館にいるのが幸せだったのもある)

しかし、その後進学した中学校の図書室の品揃えが最悪で、あまりにも退屈だったのでそれ以後は公共図書館を利用していました。とはいえ、そう頻繁にも行けないので、本は当時ほど多くは読まない感じが続いていました。
高校は悪くはなかったというか、結構いい方で、進学前はかなり気に入っていたのですが、進学してからは部室が居場所になったのであまり行きませんでした。
というわけで、あまり本を読まない期間が中高の間にありました。

が、最近になって、本を読む習慣が戻ってきました。
この習慣が戻ってきた理由には、全くコンピュータに関係がない読み物をよく読んでいるということと、前述のようにコードを書けない時間を作っているので、本を読むのが習慣に戻ってきたということがあります。
そういえば小学生の当時は技術そのものの本だけでなく、社会の本とか技術は技術でもその周辺の人々の伝記とか、そういうのを好んで読んでいた記憶があります。
それを忘れていたので、あまりうまく読めなかったのかもなと思いました。

読書習慣、たいせつです。

#かなり注意して生活しています

前述のように、(あるいはこれまでの記事でも何度か触れているように)しばらく元気がなかった[1]こともあり、知らぬ間にコードが書けない感じになるのが怖いので、かなり気をつけて生活をしています。
具体的には、先に書いたように「まだいける」的なノリでもコードを書くのをやめるとか、codingが楽しくなってきて食事が疎かになりがちであるという事象に意識的に注意するなどの活動をしています。
これらはもしかするといわゆる「ふつうの人」[2]の感覚では無意識的に実装可能なことなのかもしれませんが、私にはこれらを意識することが必要なようです。

#開発環境を変えました

ここだけすごい具体的でtechっぽい話で恐縮ですが、昨日から開発環境を変えました。
具体的には、VSCodeを(少なくとも戻りたくなるまでは)捨てて、Neovimで生活することにしました。
大学の先輩や、その他知人がここ半年くらいでneovimにかなり移行しているのが理由なのですが、その移行の気持ちもかなりわかるなという感じです。

今のところVSCodeより明らかに快適だし、あまり戻りたい気持ちもないので、もうこいつと付き合っていくことにするかもしれません。
Terminalで完結すると嬉しいし。

また近いうちに、自分の今の環境と使ってみた感想はレビューしようと思っているので、この記事ではあまり詳細には立ち入らないことにします。

以上、活字を読んで図書館に通う生活をしていて、脳の調子が良いよ、ということを記録しておくことで、今後の自分に役立つんではと思って書きました。
おわり。


  1. 私は声がデカくよく話すので、元気がないと書くと周囲の人間からは嘘やろと言われるでしょうが、これは事実です。 ↩︎

  2. 存在するのか甚だ疑問ですが ↩︎